「人の死」と気づき

こんにちは。

nemare体軸メンテナンスの松永健吾です。

今日はちょっといつもの情報ネタとは違い、プライベートな内容を。

先日、祖父が亡くなりまして、地元に帰っていました。

祖父は地元の大学の名誉教授なんかもやっていたり、英語の本を出版していたり、何かとすごい人でした。

95年の寿命を全うし、旅立ちました。

大病することもなく、認知症に近い状態でも子どもたち(母とそのきょうだい)のことは忘れずにいて、「老衰」という形で逝くことができ、まさに「大往生」でした。

すごいことだと思います。

人の死というものは必ず訪れます。

かなり小さい頃に父方の祖父が亡くなって以来だったので、久しく「人の死」というものには触れていませんでした。

身近な人というのは、最期の最期まで色々な気づきを与えてくれるものなんだなと率直に思いました。

直近の家族は、諸々の手続き、訪問者への対応、火葬や葬儀の段取り、人数確認、故人に縁のある人への連絡、その他諸々への対応のために1日中動き回り、慣れない会館に寝泊まりして、、、

と心身共にかなり疲れるものです。

そういった裏方の大変さも教えてくれました。

離れ離れになっていた親戚一同が、数年越しに顔を合わせる機会を作ってくれた、とも言えます。

故人がどれだけの人とご縁を紡いできたのか、どれだけ慕われてきたのか、どれだけ人に支えられて生きてきたのか、本人以外の人の口から知らされることもあります。

また、斎場の人の仕事内容、宗教や地域による冠婚葬祭の違い(火葬と葬儀の順番が秋田は逆?)など、普段は考えることもないようなことも知れます。

親戚の口から、実の子どもも知らなかった意外なエピソードが出てくるなんてこともありますね。

たくさんの気づきを与えてくれました。

急に歳を取ったようになり、認知能力が低下したと聞いてからしばらく行けなかったけど、今年は3回くらい帰省して、入院する前にも会うことができて本当に良かったなと思います。

「今年こそは実家に顔を出したい!
「いや、出そう!」
「もう飛行機も予約してしまえ!」

と決めてから、立て続けに秋田での仕事が決まったのは運命的だったなと。

母方の祖父なので、祖父の意志は僕の母へ。

そして母から僕たち兄弟(4人)へ。

確実に受け継がれています。

安心して逝ってらっしゃい。
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